夜勤明け。
ひとり牛丼屋で食事を済ませた朝。
車に乗り込もうとした際に、声をかけられた。
かつての教え子で、卒業後約8年ぶりの再会だった。
真面目で非常におとなしい子、声もか細く、目立っていない姿が逆に俺にとっては印象になった。
ある年、文化祭の出し物で半ば強制的(なように見受けただけで詳細はわからない)に軽音部に入部させられ、普段目立たない彼が冷やかし半分でステージに祭り上げられていたのが彼に対する俺の一番の印象深い記憶だった。
ギター片手に歌っていたのを今でも覚えている。
事あるごとに運動部上がりの同期から『声を出せ!』と罵られていた。
そんな彼が、以前と変わらずおとなしく優しいか細い声で自身の近況を話してくれたし、こちらも8年ぶりに出逢う教え子の近況を質問攻めにしていた。
「あの時に軽音部に入ってから、今もギターをやっているんですよ。僕くらいでしょうね。やっているの。」
そう聞いて、意外だなと思った。
てっきり強制的に入れられて茶化されていたのかと思っていたが、あの時の出来事がきっかけで、今でも音楽を続けていたのだ。
こんな田舎とはいえ楽器をやるのもなかなか大変だろう。
「へぇ。まだ続いていたのか。どこでやっているん。」
そう尋ねると、
「仕事の傍ら周南の〇〇というライブハウスとかでステージやってます。」
「はぁ?お前が?〇〇と言えばなかなか有名な。」
やたらと周南の『ハコ』についての情報を俺が持っていることに、彼も驚いていた。
牛丼屋の駐車場で音楽談義に華が咲く。
実は音楽関連の写真撮影に携わっていた事、当時内緒にしていたけど実は今でも大道芸人でショーステージに出ていること。
彼は本格的にバンドを組んで活動し、最近はライブハウスに出向くようになり頻繁にステージをやり始めていること。
お互いの驚くべき状況を打ち明かした。
共通したところは、『サラリーマンをやりながらでも出来る』という事だったのは少し嬉しかった。
「おまえ、芸名は?」
「3ピースバンドでやっているんですけど、ソロでやっているときはタニオ・タニスケです。本名をもじって・・・。」
続けて面白い事を言う。
「実は今晩、ライブなんですよ。とはいっても前座ですけど。」
場所は周南のRAISING HALL。かつてテアトル徳山という映画館があった跡地にできた、街一番の規模のライブハウスだ。
面白いじゃないか。
待ってろこの野郎。
開場と共に乗り込んでやった。もちろん愛機Nikon D4を携えて。
ステージでは何が起きるかわからない。このLIVE感が楽しいんだよ。
まるで別人だった。
ステージに上がるとこうも変わるのかと思うくらい。
声出せなどと冷やかされていたあのころの面影は無かった。
まだ粗削りだけれど、ステージの上に立つ彼の姿やオーラは完全にミュージシャンだった。
10年前に出逢った頃。彼が18歳の頃を思い出して今の姿に感動したし、本当に好きなことを真正面からやりぬいていく姿は素直に眩しかった。
『サラリーマンでもやっていける。やれる。』
正直この言葉に安堵した。
全てをなげうって夢を追うのも良い。悪いと言わない。実に純粋だ。
夢を捨て、堅実に現実(いま)を生きる。それも良い。むしろ正解に近いかもしれない。
それでも、どっちかなんて選択肢を選ぶよりも、もっと貪欲に『両方良いところを取って行く。』というやり方もあってもいいんじゃないかと想う。
『選ぶ』という事は、もう一つの選択肢を『捨てる』に言い換えれるからだ。
俺の身の回りにはそれこそ一筋でやっている人もいるしその姿は尊敬に値する。
捨てる覚悟の無い中途半端者だと罵られるかもしれないが、どうせ腕前一本の世界じゃないか。
やったれやったれ。
やるだけやったれ。
止まるんじゃねぇぞ。