蒼天遊々な旅

LIFE IS TRAVEL

回顧録 2000年夏

歯車は 廻る 



ノストラダムスの予言はものの見事に外れた。
世界はアルマゲドンによって吹っ飛ぶ予定だったが、結局何も起きぬまま年は変わり2000年。
めでたくミレニアムイヤーを迎える。



そんな若かりし頃。
体育会系でも、文科系でもない。
敢えてカテゴリーに分類するならば、理工学系だった。


高校時代には『工作部』なる部活に所属していた。
工業高校の実習棟の片隅。『工作部』の『工作員』が集まる部屋がある。
ほろ暗い部室に身を沈めるその姿は謎だらけで、一見するとその活動内容は不明確であった。





今思えば、最新鋭・最先端の取り組みをしていた。



当時は実にマイナーで、所謂『オタク的カテゴリー』だったに違いない。
あまりのきな臭さに、当時の周囲からの受けはあまり良いものではなかった。
やっていることがあまりにもマニアックだったからだ。





ホンダのカブのエンジンを搭載した自動車『エコランカー』を作り、1リッターで何キロの走行距離を走れるかを競う大会に出場していた。主催は天下の本田技研である。毎年、熊本のレース場を貸しきって盛大な大会が行われ、西日本各地の工業高校や理工学系の大学のサークルが集結し、熱いレースを展開していた。競っているのはスピードではなく、あくまで燃費なのだが、テレビで見るF1レースさながらの現場を実体験できたのだ。




新聞配達用の廃車同然のカブを引き取り、エンジンを取り出し整備・改造し、自分達で作った車体に搭載して走らせる。歴代受け継がれてきたエンジンと口伝で伝わるそのノウハウは部の宝だった。
入部のきっかけとなったのは当時のクラス担任。工業高校の実習科目が得意で、趣味はプラモデル製作。帰宅部の俺がふと声をかけられた。
「そんなに物を作るのが好きならば、『工作部』に入部してみろ」
そういわれたのは2年の春だった。そして2年の終わりに前任の部長からその座を引き継いだ。




18歳のガキが試行錯誤を繰り返した結果、本来燃費リッター100kmほどのカブのエンジンを搭載したお手製の車は理論値でリッター400km近い数値をたたき出した。当時の大会優勝車は1000km以上だったのを記憶している。





大会に向け、夏休み返上で朝から夜遅くまで『エコランカー』の製作に没頭する日々。
部のトレードマークでありユニフォームである青いツナギは、汗と油で真っ黒だった。
他のやんちゃな同級生はお洒落をし、彼女でも作って海や夏祭りなどのイベントを楽しみ、所謂、世間一般の青春を謳歌している中、10名足らずの野郎共と工場臭のする実習棟でエンジンオイル鉄粉にまみれ、鉄を溶かし、叩き、伸ばし、削り、くっつけ、磨き上げて『エコランカー』製作をしていた。
甘っちょろい恋愛など糞くらえだ。死んでしまえ。












そんな高校最後の夏。










たった25枚の写真にその全てが納まっていた。

同級生との、とある当時の会話・・・。
「もし、人生がやり直せるなら、こんな男ばかりの工業高校なんか絶対にチョイスしない。共学で女の子のいる高校を選んで、恋愛なんかして一杯遊ぶんだ。」







もし、人生をやり直せるのなら・・・・。






俺はもう一度この25枚に記録された青春を味わいたい。