先日、嫁さんの友人のお見舞いに出かけた。
癌で緩和ケアの病棟にいるそうで、意識はないとの事だった。
半年程前までは近況を電話で話をしていたそうな。
その当時から塩梅は良くない様で、昨年末から急に容態が悪くなったらしい。
その友人も嫁さんも色々と気を使ってのことだとは思ったのだが、会うことも無く日々に忙殺され時間が過ぎて行った。
不運なことに、日々に忙殺されるのはいとも容易い。
ひょんな話からその状況を聞き、『友達なら会いに行った方が良い』と進言をして家族ともども出向いた。
病に伏す友の姿を見ると、遅かろうが早かろうが『元気なときに会っていれば』と悔やむ。時として良くないイメージが先行して会う事すらも躊躇してしまいがちだ。
そういった感情は避けては通れないのかもしれない。
何よりもそういう経験が俺にはあったので流される日常に忙殺され、遅きに転じてしまう事を避けるべきだと考えた。
こちらは乳飲み子を抱えているため、病室に入ったのは嫁さんだけだった。
友人と嫁さんが何を交わしたかまでは知る由は無い。
一日一生。
一日を一生と思い、出来るだけ後悔が無いように。
出迎えてくれたご主人と小さな子供二人に掛ける気の利いた言葉を見つけ出すことが出来なかった。
俺にはまた忙しい日常が始まるのだ。
【追記】
1月30日に亡くなられたと連絡を受けた。
心よりご冥福をお祈りします。
お見舞いに行って4日後の事である。
逢いに行くという決断が遅かったのか早かったのか、良かったのか悪かったのか。
この決断は正しく、そして悔いはないと思いたい。