山へ登り、夜明けを待つ。
氷点下を下回る空気は冷たく、息を吸うと鼻から喉、そして肺へ空気が抜けていく感覚を実感できる。
じっくりと目の前に広がる風景に向き合うのは久々だ。
時間に追われる生活を送っているせいか、趣味であるはずの写真撮影も何処か追われるような撮影をしていた。
構え、そしてすかさずシャッターを切る。
まるで早打ちのガンマンのように、まるで狂乱した兵隊のようにシャッターを切り続けていた。
ただ、目の前に広がる風景に向かい合う。
あの忘れていた感覚を今取り戻す。
カメラの自動制御で動いているシステムをすべてマニュアルに切り替える。
シャッター速度、絞り、ISO感度、オートフォーカス。
高い精度で構築されている各設定をすべて手動にした。
ハイスペックなカメラではあるが、この遠回りな手動操作こそある意味風景と向き合うための儀式なのだ。
いま、この風景にカメラが自動で制御するシステムは必要ない。
必要なのは撮影者自身の感性のみだ。
三脚にカメラを設置。
ファインダーを覗き、遠く山の稜線にフォーカスを合わす。
ライブビューを起動させ、最大倍率まで拡大。
液晶画面に映る映像をもとに、さらに精細なフォーカスを追い込んで行く。
最近のデジタルカメラの有能な機能も余すところなく使い込む。
そしてシャッターボタンは直接指で押さない。
ボタンを触った時の振動ですらこの画作りに悪影響を及ぼす。
シャッターはリモートコードで遠隔操作だ。
後は己の感覚だけでシャッターを開く。
世界が真っ暗な闇に包まれていたが、ゆっくりと、しかし確実に空は明るくなっていく。
この感覚だけは、今の気が狂うように時間に追われている生活だけでは味わえない感覚だ。
太陽が昇っていく。
残念ながら、空には雲が多く出て、地上にはそこまで雲海は広がらなかったが、それでもいい。
理想としていた画は心の中に存在していたが、それとはマッチしない。
それは自然相手だから仕方のないことだ。
見たかった、地平線から現れる真ん丸な太陽も、雲に隠れてみることができなかった。
でも、
天から注ぐ太陽の光が雲海を照らし、神々しく輝く世界を切り取ることができた。
静かに向き合う世界。
向き合うのは、目の前に広がる風景と自分自身だ。