蒼天遊々な旅

LIFE IS TRAVEL

もし、明日世界が終わるのならば。

明日から、なんでもマヤ暦が終わるそうだ。
ネットを観てみると明日から冬至にかけて起こるらしい。
『世界終末論』とばかりに話題になっている。
そんなカビ臭い古代遺跡の暦に何の意味があるのか分らないし、地球に彗星がくるだとか、地球の周りの惑星が一列に並ぶだとか、アセンションが起きるだろうとか、皆何の根拠もない曖昧な『世界の終末』を想像している。


なんであえて『終末』を望むのだろうか。


『1999年に世界が終わる。』
かつて、ノストラダムスさんが予言したその日を迎えたが、何も起きはしなかった。
その話題が持ちきりだった小学生時代。
それに備えて小川の下水道菅の先に続く貯水池の秘密基地に、皆で集まったものだ。
当時テレビ番組ではオカルト学者が目を輝かせて、嬉々としてその世界の終末を語っていた。
しかし不意に訪れたのは『受験戦争』という戦いだった。
もしかすると『恐怖の大王』はアレだったのかもしれない。
そんな20世紀末の少年時代。




皆が望む『終わりの時』。
不景気やなんやらかんやらで、今の世界に嫌気が差しているのだろう。
期末テスト期間中は、ぼんやりと
「ああ、明日大地震が起きて学校がぶっ潰れてくれないかなぁ。」
なんて想像していた。
たまに今でも、
「会社行きたくねえなぁ。あのクソ工場に隕石でも落ちてくれんかなぁ。」
なんて想っちゃったりなんかしている。
が、なかなかそうは上手く行かない。


きっと、『今』から脱却したいが為に、皆『今の破滅』を望んでいるに違いない。


もし世界が崩壊して社会もルールも秩序も何もかも全部ぶっ潰れたら、俺は自由だ。
でも、俺はだらしないから、そんな世界じゃきっと生きてはいけないな。



【杞憂】(杞の国のある人が、もし天地が崩れ落ちたらどうしようかと、起こり得ないはずのことをしきりに心配し、夜も寝られず食事もできなくなったという。)






もし、明日世界が終わるのならば。
とりあえず、先週は周防アマゾネスの写真撮影も出来たし、昨日は浜勝のとんかつを腹いっぱい食べた。気になっていたスタッドレスタイヤの性能も確認できたなぁ。
今日、朝起きるのは寒くて辛かったが、よく寝れた。
そして今、世界の最後を目の前にブログに駄文を綴っている。


特に、求めるものもなし。